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18件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2017-06-08 第193回国会 衆議院 憲法審査会 第8号

ただ、旧宮家の復活とか、継体天皇事例もございますし、こういうことをできるだけ可能性を探求すべきだとも思っております。  ただ、時間はございませんので、この委員会がいいのか、どういう場所がいいのか、安藤先生に怒られますけれども、超党派で静かに議論する場所を設けるのか、とにかく早くこれを決めていかなければ、私は時遅しになるというふうに危機感を覚えております。  

北神圭朗

2011-02-15 第177回国会 衆議院 予算委員会 第11号

その一体的なまちづくりとか融和という意味では、合併特例債などを活用して、必要な道路網、市、町を結ぶ道路網であったり、あるいはそれぞれの課題である事業の促進などを図って進めておりますし、特に、武生今立も、武生は国府が置かれていて、大化の改新のころから千四百年近い歴史がありますし、今立は千五百年の和紙、あるいは継体大王にまつわるさまざまな伝統文化もございますので、こういったものを融和しながらまちづくり

奈良俊幸

2010-02-25 第174回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号

奈良県天理市にある西殿塚古墳は、宮内庁によると、衾田陵、つまり継体天皇の妃である手白香皇女の墓というふうにしていますね。考古学の世界では、この西殿塚古墳出土土器から考えると、三世紀後半から四世紀初めの古墳というふうに見られています。私も実際にこの古墳を見てまいりましたけれども、継体天皇は、もちろん六世紀時代の方ですね。

吉井英勝

2008-02-27 第169回国会 衆議院 予算委員会第六分科会 第1号

この地域でございますが、継体天皇あるいは中江藤樹生誕地としても知られておりまして、ことしはちょうど中江藤樹先生生誕四百年ということで、その記念のいろいろな行事も予定されているわけであります。最近では、この豊かな自然環境を生かして、観光にも特に力を入れているところであります。  現在、この静かな町で、地域住民の間で大きな不安が広がっております。

上野賢一郎

2005-04-01 第162回国会 衆議院 内閣委員会 第6号

さっき言いました孝明天皇祭神武天皇祭があったように、継体の日があれば、聖徳太子の日があってもいいかもしれないというふうに、幾らでも、際限なく出てくるんですよ。  だから、もともと、昭和の日として国民こぞって祝い、感謝し、記念するということを求めること自体がやはり無理がある、そのように考えませんか。

吉井英勝

2004-04-22 第159回国会 衆議院 総務委員会 第15号

これは継体天皇ゆかりの地、男大迹皇子のいたところで粟田部というんですが、こんな宣伝はしなくていいんですが、粟田部というところがある。この粟田部地区協議会は二十六区の千三十戸あるんですよ。ところが、条件として、必ずこの粟田部という名前を残してほしい、この自治区を認めてほしいということになったんですね。それで、二十六区にはそれぞれ町から補助金が来ました。区長さんもいます。

若泉征三

2004-03-24 第159回国会 参議院 内閣委員会 第4号

具体的に継体陵、ケイは継続の継、タイは体ですが、継体陵の問題で聞きますが、九九%の歴史考古学者が今城塚古墳高槻市にある方が本物の継体陵であると言っておられます。宮内庁は科学的な調査も行わないまま、江戸時代に決めた現在の継体陵、太田茶臼山古墳に固執しています。それで順次具体的に伺いますので、端的にお答えください。  第二十六代の継体天皇はいつ生まれ、また没したのでしょうか。

吉川春子

2003-07-16 第156回国会 衆議院 内閣委員会 第18号

基準はあるのかというふうなお考えの方もおられるんですが、今は昭和の日だけで、考えておられないとしても、つまり天皇の間に差別を設けないという、そういう天皇崇拝の立場に立ちますと、やがてそれは、明治の記念日であるとか、あるいは大正の記念日であるとか慶応の記念日、もっとさかのぼれば、例えば、日本の筑紫の国の磐井の乱とか、ああいう、いわば当時の時代の非常に大きな内乱であって、それを克服したと言われる例えば継体

吉井英勝

2002-04-08 第154回国会 衆議院 決算行政監視委員会第一分科会 第1号

それは他の、例えば継体天皇陵の墓についても、そういうことが言われています。  そこで、本当に静安と尊厳の保持をしなければならないのであれば、正確に治定をしなければならない、そして、正確な治定をしていくためには、やはり専門家を集めた学術調査というものも、陵墓についても積極的に行っていかなければならないんじゃないかというふうに私は考えておるわけです。  

植田至紀

1990-04-26 第118回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号

○辻(一)分科員 越前平野は、昔、随分前の千五百年前に継体天皇王子時代に住んでおったと言われて、そして奈良に出て政権をとったという歴史があるのです。その背景越前平野の米の生産力による、砂鉄というのもあったそうですが、鉄と米によって政権をとったという歴史を聞いておりますが、それほど昔から米どころであるということですね。

辻一彦

1988-03-09 第112回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号

もう一つの問題は、継体天皇陵、これは太田茶臼山古墳というふうに考古学者は言っておりますけれども、一九八六年に調査が行われまして、そこから埴輪などが出てきているんです。これを見ても、天皇の没年とこの埴輪のつくられた時代で数十年違いがあるんじゃないかということで、これは小さいことかどうか、考古学者にすれば重大な問題かもわかりませんけれども。

田中美智子

1979-05-24 第87回国会 参議院 内閣委員会 第9号

それから継体天皇ですか、いや二十五代の武烈天皇、その次が継体天皇です。この際ですから、そう推論するところの条件背景というものはこの際省略をいたします。まあこの国会でそういうことを申し上げますのははなはだ勇気の要ることだと私自身思っておりますけれども。このことについては宮内庁などはどう理解しているんでしょうか。

村田秀三

1979-05-24 第87回国会 参議院 内閣委員会 第9号

あるいはもう一つお出しになりました武烈天皇から継体天皇への間、これは崩御から即位まで日にちは記紀の上での記録によればそうはございませんけれども、代をさかのぼっていけば、継体天皇は遠祖であります応神天皇の五世の孫というように記載をされているようでございまして、そういうふうに見ますと相当にさかのぼったところから連れて出てきていらっしゃる、それで継いでいらっしゃる。  

山本悟

1972-04-13 第68回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号

やはりその陵墓参考地としてのウエートなどを考え、また、都市計画なりその他の事情を考えまして、必要に迫られて発掘した例はございますが、それ以外のところで学術調査のために発掘した例もございませんし、今後、参考地なり陪塚につきましても積極的に学術調査のためにこれを発掘しようというようなことは、現在のところ考えておりません、参考地という中にもやはりウエートの低いものもありますし、あるいは、さっきおっしゃいました継体天皇陵

並木四郎

1972-04-13 第68回国会 衆議院 文教委員会文化財保護に関する小委員会 第1号

世紀半ばのものだろう、天皇陵に付属した古墳であるということで、これを何とか大阪府の教育委員会発掘調査をしたいということを申し出ておるそうでございますし、もう一カ所大阪府の高槻市の今城塚古墳、国の指定になっておりまして、二十六代の継体天皇御陵ではないかといいますが、その近くに継体天皇の実際の御陵があるそうで、それでそれをどちらか、いま申し上げました継体天皇御陵であるというと一カ所取り消さなければならないことになる

中山正暉

1957-05-13 第26回国会 衆議院 内閣委員会 第39号

それからだんだん進んで武烈天皇までいくと、まるで暴虐無礼な天皇がおられて、とんでもない暴行をせられたので、ついにその天皇を断ち切って、およそ皇位というところからははなはだ縁の薄い形の継体天皇を跡継ぎの天皇として持ってきておられる。こういうふうに何らかそこに一つの創作といいますか、一つの国民的な感情を盛り込んだ夢の世界というものが、ちょいちょい中に入ってきたような印象を受けてならないのです。

受田新吉

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